占いと魔術と馬券と宝くじとパチンコとFX
占いと魔術とそれ以外はギャンブルとして区別されます。
もっとも、宝くじは偶発性や運の要素が高いものと言えるかもしれません。
そこで考えるべきは、占いで運気を挙げると、何に対する当選率が上がるか、という点です。
ただ、その根底に潜むものを考えないと、この問題に一定の解を与えることはできません。
それについて紐解いてみたいと思います。
運や実力でどうにかなるであろうもの。
競馬とパチンコ、FXなどは日ごろの研究や観察眼などでどうにかなるものと思われます。
特にパチプロは一玉一玉に対して想いを込め、期待値を積み重ねているかなり地道な作業です。
しかし、素人ギャンブラーにとっては、そういった姿は分かりません。
(FXをギャンブルのカテゴリに入れるのはやや心苦しいですが、あくまで説明としてカテゴライズします)
実は、これが認知の歪みの一つともいえるのです。
メダリストと比較はできてもギャンブラーと比較はしない
あなた自身はバスケ選手でもバレー選手でもないものとし、あなたは電車や街角で、明らかにバスケやバレーの選手のメダリスト集団を見かけたとします。
その時あなたはどのような感情を抱くでしょうか。
大方、「すごいなあ」という感情「うらやましいなあ」という感情はが出てきたとしても、そのスポーツに対する対抗意識が沸くことはないのではないでしょうか。
しかし、ギャンブル文化はそうではありません。
ギャンブルにおいてもとりわけ、儲けるチャンスが同等に与えられているという錯覚があります。
しかし、あなたがコートに立ってバスケやバレーをするとして、到底適わないメダリストたちと同等の活躍をすることができるでしょうか。
平面的になる錯覚世界
ギャンブルをする私たちに与えられる道具は非常にシンプルです。台やハンドル、投票用紙、買いか売りかのボタンだけです。
このようにディメンション(次元)が低まれば低くなるほど、物事は単純化されていき、”自分にもチャンスが” ”自分も同等” と思ってしまう節があるのです。
バスケットでメダリストに勝つのは無理という認知はあっても、ギャンブルではどうにかなるという認知を持つことができてしまうのです。
実はあなたの周りを取り囲む存在は自分には到底及ばないプロだったりするわけです。プロパチンカーもプロディーラーも、あなたの近くにいます。しかし、そのようなことは知る由もないし、知ろうともしない。
自分がメダリストでもないのに、よりお門違いの分野でメダリストと戦っている。一番まずいのはここです。
多くのギャンブル愛好家は研究することを放棄していますから、戦いの俎上にさえないのです。ところが相手はメダリストや歴戦の勇士たち。
そのことに気づかないのがギャンブルという認知誤謬装置であるといえるでしょう。そしてこれが私たちの多くの、敗着要因と言えます。
占いで運気が上がったと仮定すると…
さらに具体的な話に迫っていきます。
占いは運気を上げるものだと定義します。であれば、あなたはバスケ選手に勝つことができるでしょうか。
それは絶対に不可能だ、と思うことに議論の余地はないでしょう。それがギャンブルになぜ適用できないか、というところが話の肝要です。確かに何らかの運が働いて、手元に渡ったボールを投げたらゴールに入る、という事はあるかもしれません。しかし長い目で見れば絶対に勝つことはできません。
ギャンブルも同様です。明らかなプロがいて、その差は歴然であるにもかかわらず、”運”という武器だけで乗り込んでいる。一発は決められるかもしれませんが、長くは続かない。バスケと同じ結末を辿ることになることをなぜか想像できなくなってしまう。
占いや魔術は”自分が何者であるか”の定義から始まる
このように一時的な運気の上昇だけで分野を攻略することはできません。占いや魔術は礎を築くものであり、すぐさま頂点に立つものではありません。もしそのような占いが存在していたとしたら皆が億万長者…という説教は黴臭いので自分は好きではありませんが、占いがもたらすのは、自らのベース能力の向上に向けた引力です。
その”引力”を運と呼ぶのであれば、占いや魔術にも一定の価値があるといえるでしょう。
なお、占い師や魔術師によっては、”惑星直列(Planetary Alignment)”を気にする方は多く、それは惑星が並ぶことによる引力を意識したものであると考えます。
引力、それは自分に引き寄せられるのか、あるいはそれを誰かに与えるのか、はたまた惑星の彼方に吸い寄せられるのか。それが問題である。
Written by そだし