私は、「ナシーム・ニコラス・タレブ」の『反脆弱性』の本を読んで、脆弱・頑健・反脆弱性(反脆さ)について少しかじりました。
正直すべての意味を理解することはできませんでした(が、『ブラック・スワン』という著作よりは意味が伝わりやすかった)が、その中で、タレブ氏は、『反脆弱性』は、街中の高級レストランのようなものである、レストランが集合する地域は、あるレストランが栄え、潰れるというバランスを繰り返し、その界隈で新陳代謝を繰り返している、と話す。
レストランすべてが頑健だったとしたら、コスト勝負にはならず、一定の客を一定の水準で一定の人数来店させる、共産主義的な店になり、売り上げも平均化されていきます。脆ければどうでしょう。誰もその界隈に寄りつかずゴーストタウン化していく。然し反脆弱性があれば。
あるレストランの衰退の陰で、あるレストランが栄える。そのバランスを持ちながら切磋琢磨し、新陳代謝してゆく。プロ野球が面白いのはレベルが最高水準であるからだが、その理由は新陳代謝にある。同じ人が同じことをやり続けても魅力には感じないのである。最も大谷翔平は別格だとしても、松本人志はどうだろうか。頑強な外面に見えて脆かった。
高級すし店なども人気と価格、ブランド感の絶妙さの駆け引きで客を魅了する。実は町の寿司屋の方が美味しいこともあるだろう。しかしそもそも高級すし店として存立するのであるのであれば、そこは戦場なのである。戦場というと響きは良くないが、それこそお金をいただいて上等(これは多種多様な客だけではなく、人気に陰りのトレンドを見せる店からも)であるからこそ、どのような客に対しても一流の応対を見せるものである。
炎上した案件もあるが、一流とされる芸能人の用語は多い。つまり、これはこの寿司屋が何年、何十年とかけ培ってきた「反脆弱性」そのものである。それを武器としているからこそ、一般的な崩壊が発生しても、かえって頑強になるという、まさに反脆さ、反脆弱性スキルが発現され、店主はその食界隈に名を馳せることができるのである。
これは単に炎上してPVを稼ぐ、若さという時間を切り売りする一時的な利益という”脆弱”とは一線を画すことを認識しておく必要がある。
Wrtten by So Omof Sodashi(´・ω・`)